1881-1973 (Spanish)
人生1903/ラ・セレスティーナ/アヴィニョンの娘たち/ゲルニカ1937/泣く女1937/酒場の二人の女
1904年(23歳)、①18歳のフェルナンデ・オリヴィエFernande Olivier(画家, Google Images)と出会い、翌年までに共同生活を始める。ピカソの60以上の絵のモデル。フェルナンデは1912年に若いイタリア人画家を駆け落ち。
1912年(31歳)、②フェルナンデの駆け落ち直後、27歳のマイセル・アンベール(エヴァ)Marcelle Humbert(Eva Gouel, Google Images)を別の画家から奪う。エヴァは1915年に癌で死亡。
1915年、③ギャビー・レスピナッセGaby Lespinasse(Google Images)と出会う。
1917年(36歳)、④27歳のオルガ・コクローヴァOlga Khokhlova(バレリーナで貴族出身, Google Images)と出会い、翌年に結婚。息子をもうける。
1927年(45歳)、⑤17歳のマリー=テレーズ・ワルテルMarie-Thérèse Walter (Google Images)に出会う。1932年に共同生活を始め、1935年に娘をもうける。マリーはピカソの死後に自殺。
1936年から1945年まで、⑥カメラマンで画家のドラ・マールDora Maar (Google Images)と愛人関係。「泣く女」のモデル。
1943年(62歳)、⑦21歳のフランソワーズ・ジローFrançoise Gilot(画学生, Google Images)と出会い、1946年に共同生活。息子と娘をもうける。フランソワーズは1953年に2人の子供とともにピカソの元を去り、1955年にLuc Simonと結婚するが、2人の子供をピカソの子供としての権利を認めさせるため、ピカソの弁護士の提案により1961年にSimonと離婚するが、同年、ピカソはジャクリーヌと結婚する。1964年、フランソワーズはピカソとの私生活の暴露本を出版し、ミリオンセラーとなり、12ヶ国語に翻訳され、ピカソを激怒させる。
1954年(72歳)、⑧27歳のジャクリーヌ・ロックJacqueline Roque(南仏ヴァロリスの陶器工房で働いていた。Google Images)と共同生活を始める。翌年1955年に正妻オルガが死亡。
1961年(79歳)、ジャクリーヌと結婚。ピカソの400以上の絵のモデル。ジャックリーヌはピカソの死後に自殺。
1965年、ピカソは胆嚢と前立腺の手術を受け、性的能力を失う。
青の時代(1901−4)
https://www.artpedia.jp/work-la-vie/
バラ色の時代(1904−6)
アフリカ彫刻の時代(1907−9)
キュビズムの時代(1909−12)
新古典主義の時代(1918−25)
シュルレアリスムの時代(1925−36)
ゲルニカ(1937)
晩年の時代
人生, 1903 |
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